100年前のbaisado界隈

京都にいると、いま自分のいる場所が昔はどんなところだったかと、つい想像してしまいます。

baisadoは「京都市左京区下鴨西半木町(しもがもにしはんぎちょう)」にあります。ここは1918年まで「愛宕(おたぎ)郡下鴨村」、つまり京都市外でした。

店の周辺はその頃どんなだったんだろうと、1926年に発行された地図と現在の地図を比較してみました。右の地図の「○」がbaisadoの場所です。

この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。

左の地図を見ると、右上から左下へと流れる琵琶湖疏水分線(1890年開通)、上部中央の京都府立農林学校(現在の京都府立大学・1918年桂から移転)、その隣の京都府立植物園(1924年開園・今年設立100周年です)のほかは、ほぼ一面の田んぼです。

地図左上から右下へ流れる賀茂川には2本の橋が掛かっています。下の橋は現存する出雲路橋で、鞍馬へと続く街道の起点でした。橋の西詰から鴨川を渡るとすぐに鞍馬街道は左に折れ、現在の下鴨中通を北上します。北大路通より南の下鴨中通は今も狭くてくねくねしており、往時を彷彿させます。

左の地図のもう一つの橋は、右の地図にはない中賀茂橋(1917年完成)で、橋の東詰から鞍馬街道に向かってまっすぐ道が伸びています。右の地図にある北大路橋は1933年の完成で、この頃はまだ北大路通自体ありませんでした。その後中賀茂橋は1935年の大雨で流されてしまい、いまは下鴨中通へと向かう道だけが残っています。

つまりbaisadoは、中賀茂橋からの道と鞍馬街道とが出会う三つ辻辺りに立地していたのでした。お店の周辺はとても静かな環境ですが、もしかすると100年前はもっと賑わっていたのかもしれません。

また、お店の前の道が賀茂川に突き当たる場所には、店名の由来である売茶翁の没後二百五十年記念碑が、枝垂桜の下にひっそりと建っています。売茶翁こと高遊外は黄檗宗の僧侶でしたが、還暦を前に還俗して肥前佐賀から京へと上り、鴨川のほとりなどで道ゆく人々に煎茶を振る舞ったそうです。

お店を借りた直後にこの碑の存在を知り、さらに今回土地の由緒を知り、ますますこの場所が好きになりました。皆さんも、いま自分のいる場所が昔はどんなところだったか、調べてみませんか。

参考文献:

京極れきし再発見24「鞍馬口と鞍馬街道」(京都出町・でまち倶楽部「京都・出町観光案内」)

「名誉園長の部屋No.13」(京都府「京都府立植物園『名誉園長の部屋』」)

baisado
京都下鴨の小さな珈琲焙煎所

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