アラビカコーヒーの伝播史(1)

 お米やブドウなどと同じく、コーヒーにもたくさんの品種がありますが、これらのほぼすべてがアラビカ種(和名:アラビカコーヒーノキ)とカネフォラ種(和名:ロブスタコーヒーノキ)のいずれかに属しています(代表的な亜種の名前から、カネフォラ種は「ロブスタ種」と呼ばれることが一般的です)。

 World Coffee Researchというアメリカの民間コーヒー研究組織が、世界中で栽培されているアラビカ種とロブスタ種のコーヒー品種をカタログ化していますが、

Coffee varieties catalog
https://varieties.worldcoffeeresearch.org/

その中に「アラビカの歴史」という一章があり、とてもコンパクトに分かりやすく書かれていましたので、皆さんにもご紹介します。

 アラビカコーヒーノキ(coffea arabica)は、エチオピアが原産で、そこにはこの種が持つ遺伝的多様性の多くが見出されます。最初のコーヒーの種子は、エチオピア南西部のコーヒーの森から(訳註:紅海を挟んだ対岸の)イエメンへ持ち込まれ、そこで作物として栽培された、と歴史家は考えています。農家や育種家は、これら初期のコーヒーの木から、作物としての性能や自然条件への適応力にそれぞれ特徴を持つ、現在広く栽培されている何十ものアラビカコーヒーの品種を、選び出し、あるいは作り出しました。

 最近の遺伝子検査では、エチオピアからイエメンへ持ち込まれた種子のうち主要なものは、ブルボン種とティピカ種に関連していることが確認されています。ブルボン種とティピカ種の子孫は、イエメンから世界中に広がり、現代のアラビカコーヒー栽培の基礎を形成しています。

 1600年代後半までに、コーヒーの木はイエメンを離れ、インドで繁殖していました。これらの種子によって、当時マラバールと呼ばれていたカルナータカ州マイソール地域に、コーヒープランテーションが形成されました。最近の遺伝子解析の結果、ティピカ種とブルボン種両方の近縁品種が、このイエメンからインドへのコーヒー伝播の際に含まれていたことが分かっています。このうちティピカ種の系統は、オランダが1696年と1699年に、マラバールの海岸からジャワ島の大都市バタビア、すなわち現在のインドネシアの首都ジャカルタへとコーヒーの種子を送った際に、おそらくブルボン種の系統と別れたと考えられています。オランダは(訳註:それより前の)1690年に、イエメンからバタビアへとコーヒーの種子を直接持ち込もうとしましたが、生育したコーヒーの木は、1699年の地震で失われてしまいました。言い換えれば、ティピカ種の系統が他の品種から分離し、その後世界中に広まったのは、コーヒーの種が(これまでよく言われてきたような)イエメンからの直接ルートではなく、インド経由でインドネシアへと伝わったからだ、と考えられます。

 1706年、インドネシアのジャワ島に導入されたこのティピカのグループから、一株のコーヒーの木がアムステルダムへと持ち込まれ、植物園に植えられました。この一株が、18世紀にアメリカ大陸を支配したティピカ種(ただし、ティピカの遺伝子グループに含まれる多くの品種の一つに過ぎません)になりました。1714年、オランダとフランスの間でユトレヒト講和条約が結ばれた後、アムステルダム市長はルイ14世にコーヒーの苗木を献上しました。この苗木はパリ植物園の温室に植えられ、すぐに種子が得られました(Chevalier and Dagron, 1928)。

 オランダからは、1719年にはオランダ領ギアナ(現スリナム)へ、1722年にはカイエンヌ(現仏領ギアナの首都)へ、さらに1727年にはブラジル北部へと、植民地貿易ルートを通じて苗木が送られました。そして1760年から1770年にかけて、ブラジル南部にまで到達しました。

 フランスからは、1723年に西インド諸島のマルティニーク島へ苗木が送られました。1730年にはイギリス人がマルティニークからジャマイカへティピカ種を導入し、1735年にはサントドミンゴ(現ドミニカ共和国の首都)にまで到達しました。1748年にはサントドミンゴからキューバへと種子が送られました。その後コスタリカ(1779年)とエルサルバドル(1840年)が、キューバから種子を受け取りました。

 ティピカ種はさらにブラジルからペルーとパラグアイへと広まりました。18世紀後半には、カリブ海諸国(キューバ、プエルトリコ、サントドミンゴ)、メキシコ、コロンビアへと栽培が広がり、そこから中米全域へと広がりました(エルサルバドルでは1740年までには栽培されていました)。1940年代まで、中米のコーヒー農園の大半はティピカ種を栽培していました。この品種は収量が低く、主要なコーヒー病害に非常に弱いため、アメリカ大陸の大部分で徐々にブルボン種に取って代わられましたが、ペルー、ドミニカ共和国、ジャマイカでは今でも広く栽培されています。

https://varieties.worldcoffeeresearch.org/arabica-2/history-of-arabica
baisado
京都下鴨の小さな珈琲焙煎所

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